3学年3年生の思い出(3)
2021.03.19
最後は、主に2学期から3学期にかけての日常の様子です。
どの教科も、みんな前向きに取り組んでいてえらかったです。
子どもたちの書いた文章から振り返ります。
「ちいちゃんのかげおくり」
国語の授業で「ちいちゃんのかげおくり」を習いました。最初は、「ちいちゃんのかげおくり」のことを知らなかったけど、読んでみたらとても悲しい話でした。それは、戦争の話でした。ちいちゃんという小さな子が戦争の激しい戦いに巻き込まれ、最後は影送りをしたら家族に会えました。影送りをした後に、ちいちゃんは生き絶えました。この話は、命の大切さと戦争の恐ろしさなどがわかって、自分としてはとても印象に残った勉強でした。これからもこういう勉強をして、いろいろなことを学びたいです。
「はじめての理科」
理科でしょく物の育ち方を調べました。屋上で絵をかきました。とくにホウセンカがむずかしく、葉っぱや花の色がむずかしかったです。けれど、できた時のたっせい感は、大きかったです。
「社会」
わたしは、2学期の土曜日に消ぼう士さんに学校に来てもらいました。その時に消ぼう士さんは、消ぼう車に乗って学校に来ていました。なぜかというと、もし火事が起きた時すぐに出動できるように消ぼう車で来ていました。ですが火事が起きているとれんらくが来て出動することになると、話が終わってしまうので、消ぼうだんの人が来ていました。消ぼう士さんがかぶっていた火事の時にかぶるぼうしは、石みたいに重かったです。まるで頭に石が乗っているみたいでしたが、手で持ったら軽かったのでびっくりしました。そのぼうしを消ぼう士さんがかぶれていてすごいなと思いました。
「逆上がりができました」
わたしは、中休みにてつぼうをやりました。その時、わたしは逆上がりができないので、友だちと、逆上がりの練習をしていました。何日も何日も練習をして、友だちにコツを教えてもたったら、とうとうできるようになりました。
わたしは、うれしい気持ちになりました。その後、逆上がりができない子にも教えてあげられてうれしかったです。教えてくれた友だちに感しゃしています。
「かわる跳び箱」
2学期の体育の時間に跳び箱をやりました。みんなで跳び箱とマットを出すのを協力しました。重かったけれど運べました。最初に久しぶりで怖かったから、5段から跳びました。うまくいきました。何回も跳びました。次は6段に挑戦しました。跳び箱に慣れたころ、私は台上前転をやり始めました。最初は怖くて回ることすらできませんでした。でも、慣れると怖くなくなり、真っすぐに回れるようになりました。勢いをつけるだけで回れるようになるなんて知りませんでした。開脚前転も台上前転も勢いをちょっとつけるとできることが分かりました。
「欠かせない手あらい」
3年生のほけんの授業でクリームをぬり、いつも通りの手あらいをした後、ブラックライトを当てると落としきれなかったクリームが見えるという実けんをしました。けっか、自分の手には思っている以上にクリームが落とし切れていなかったのを見て息をのみました。この実けんをして、いつも通りの手あらいてい度では手についている細きんやごみはあまり落とされていないことを知りました。
この授業を行ってからは、実けんでとくに目立って見えたか所を意しきして、手をあらっています。自分のけんこうを守るためにも、手あらいは欠かせないと思いました。
「習字」
3年生から書写で習字が始まりました。2年生まではえん筆で書いていたので、さいしょはむずかしかったです。でも先生に、こつを教えてもらったら少しじょうずになりました。こつは、とめやはらいをしっかりすることです。さいしょは漢字だけだったけど、ひらがなも書くようになって、もっとむずかしくなりました。せき書会ではみんなずっとしずかにして、練習よりもずっときれいに、お手本ととてもにている字で書いていてがんばっていました。
「高円寺カルタ」
ぼくは10月17日、桃園川に行きました。最初に行ったときに「どんなものがあるのかな。」とわくわくしていたけれど、そんなに楽しいところではありませんでした。
ぼくは一生けん命、桃園川の橋の数を数えていました。けっか20こもあってびっくりしました。
桃園川の水は見えなかったけれど、水のサラサラという音が聞こえてきました。
桃園川にはカッパやアヒルのぞうがありました。桃園川には昔、動物がいっぱいいたそうです。
「高円寺カルタの発表会」
2学期に高円寺カルタの発表会をしました。じゅんびの時みんなで、話すことを決めたりする時にけんかをする子もいて少し不安だったけど、すぐになか直りしてたからよかったです。少し大へんだったけど、楽しかったです。
さあ、いよいよ来週で3年生も修了です。
元気に学校に来てくださいね。