「春は近し」
校長 黒川 雅仁
心にもあらぬ別れの名残かは 消えても惜しき春の雪かな 藤原定家
藤原定家は小倉百人一首の撰者として知られ、優れた多くの和歌を残しています。この歌は、本意でない別れがあり、その悲しみを春の雪に例えているのでしょうか。歌人であり政治家でもあった定家の叡智に敬服します。
★現在、世界中で人口知能(AI)の研究が進められ、実用化したものも多くあります。そのような中、AIに奪われてしまう職業も多く発表され、学校もその候補として挙げられることもあるようです。果たして学校は本当にAIに取って代わられるのでしょうか。
★翻って、米国の大学の研究を見てみます。小学校5年生400人を対象に行った実験です。子供たちにパズルの問題を解かせます。終了後、パズルの出来を伝え、一人一人褒めます。成績に関わらず全員を褒めます。半数の子供には「頭がいいね」と褒め、半数には「一生懸命やったね」と褒めます。その後、子供たちに2種類の問題を与え好きな方を選ばせます。一方は、初めのパズルより難しいパズルで、もう一方は最初のものと同じように簡単にできるパズルです。「頭がいいね」と賢さを褒められた子供のほとんどは簡単にできる方を選びました。「一生懸命やったね」と努力を褒められた子供のほとんどが難しい問題を選びました。実験の結論として、「努力を褒められた子供は更に努力を認められるようにと難問にチャレンジするが、賢さを褒められた子供は自分を賢く見せるために間違うことを恐れるようになる」とありました。
★ここで矛盾するのが「AI授業」と「教師の声掛け」です。一定の知識や解答を求めることはできるようになるものの、その評価や教師からの支援は届きにくいでしょう。「一生懸命やったね」という簡単な一言で子供の取り組み方が大きく変わる場合もあります。前述した定家の和歌における暗喩をAIは理解することができるのか。いろいろ考えさせられます。0と1だけでは繋がらない「人間の曖昧な要素」が大切なのであろうと感じます。
★本校では、各担任が一人一人のよさを認め、褒めることを意識して指導しています。日々の努力やちょっとした気持ちの変化に気付くことができるよう、子供たちと向き合い、様子を見て、声を掛けるよう努めています。もちろん、新しく生まれ変わる高円寺学園においても同様です。子供たちのよさを引き出せる学校となるよう、時間をかけて3校合同で研修を行ってきました。先ずは、明日の「閉校記念集会」において、その力を発揮している杉八小の子供たちの様子をご覧いただけると幸いです。
2月28日執筆
参考文書:
杉八だより3月号