和田小学校の歴史

大正15年

和田小学校は、大正15年、大宮尋常高等小学校の分教場として、現在の場所に作られました。
この分教場で1年から3年まで勉強し、4年から本校で勉強しました。

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昭和7年

本校から独立し、和田尋常高等小学校ができました。開校当時の児童数は467人で先生は9人、クラス数は8組でした。
教室がたりず、1年生から3年生までは二部授業を行っていました。

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昭和15年

学校の運動場に畑を作り、学校農園を作って、野菜などを育てていました。

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昭和19年

戦争が激しくなり、330人が長野県の布施村と春日村に疎開しました。

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昭和20年

昭和20年5月25日の空襲で校舎が全焼し、学校のまわりでも多くの人が犠牲となりました。

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戦後

戦争が終わり平和が戻ると、和田小学校の児童も再び増え始め、一番多いときは1600人もいました。

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これらの写真は、和田小学校資料室に掲示されているものから選びました。
資料室には他にもたくさんの写真がありますので、ぜひご覧ください。